Never Let Me Go

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踏み切れそうで決して踏み切れない曖昧な朝、電話がかかった。
「誰もすぐには行けないから、あんたが行って」
母からだった。

一時帰国3日目。病院に駆けつけると、ミカちゃんが
泣きはらした目で「どうしてここにいるの?」と驚いた。
ロンドンから戻っていることを知らせていなかったのだから無理もない。

手術の間、震えるミカちゃんの手をずっと握っていた。
面会ができると言われて赴いたおじさんのベッドのもとで、
ミカちゃんはおじさんの名前を絶叫して泣き崩れた。
倒れた時の外傷がひどかった。もっとぐちゃぐちゃになった人を
見たことがある私から見ても、痛々しい姿だった。
意識レベル200。再び目を覚ますことはありえないという数値。

ひと回り以上の年齢差があるおじさんとよりも、私のほうが
ミカちゃんと歳が近い。そのせいか、高校生の時に初めて会って以来、
「おばさん」と呼ぶべきところを、ずっと「ちゃん付け」で通してきた。

いつも貧乏くじを引いてばかりいるような、見た目も冴えない、
口下手で、不器用そうに生きてるおじさんが私は子供の頃から好きだった。
「あんたはお母さんに似て、何でもよくできるねえ」
口癖のように言っては、生意気な姪のへらず口を
にこにこ笑って聞いてる人だった。

40歳過ぎて、お見合いで知り合ったミカちゃんと結婚した。
ミカちゃんはミカちゃんで生まれつき足が悪くて、
一生結婚できないと思っていたそうだ。
お互いがお互いのthe only oneという感じがとてもステキで、
いつもこちらが困ってしまうほどずっと手をつないでいて、
こんな夫婦いいよなあ、と会うたび思った。
50歳過ぎた大の大人の男が、照れもヘッタクレもなく妻の手を
ぎゅっと握ってる様は、いっそ清々しいというものだ。

80歳になるおばあちゃんは、突然降ってきた息子の危篤の知らせに、
相当、動揺していた。これまで病気ひとつせず、入院したこともない
おばあちゃんにとって、病院に来ることだけでも緊張を強いられるのに、
そのうえ意識のない息子に会うということが、どれほど苦痛だっただろう。

ただ、この人は呑気というか、昔からかなりトボけたところがある。
最近だと、皮膚が乾燥してひどく痒いと近所の病院に行き、
「先生、加齢症だっていうのよ。そんなにトシかしら」と文句を言っていた。
言っとくが、彼女は80歳である。

少しでも気を紛らわせようと、今とても好きな人のことをつらつらと話した。
中学生の時から、私が好きな人のことを最初に話すのは、おばあちゃんだ。
「もしその人と結婚したら、苗字があんまり変わらなくていいねえ」
息子が危篤だという時に、またしてもトボけたコメントをくれた
ばあちゃんであった。

倒れた日からちょうど1週間後、おじさんはなくなった。
恵比寿の美容院で髪を切って帰ろうとしたら、連絡があった。
何かと忙しい人たちだというのに、親族一同がアッという間に
病院に集まった。こういうところ、私は自分の家族が好きだ。
1週間の間に心の準備ができていたためか、ミカちゃんもばあちゃんも、
意外なほど、穏やかな顔をしていた。

ロンドンに戻る日だったので、お葬式には出られなかった。
「花がいっぱいの、暖かい、いい式でした」と母からメールがあった。
私に病院に行けと電話をしてきた時は、取り乱して、
「いい? おじさんの名前はXXよ」と3回も念押しした母である。
おじさんの名前くらい知ってるよ、お母さん。
どうもうちの家系はトボけたキャラが多くて困る。
冴え渡っているのは私くらいである。

それから、当の本人に「よくできた名前だから君は結婚しない方がいい」
と言われたんだ。
だからばあちゃん、ごめん、苗字が変わることは、当分、ないみたい。

ばあちゃんには言っていない、いろんなぐちゃぐちゃしたことが、
どうやら私を色恋沙汰から縁遠くしているようなのです。
しょーがねぇな、自分の人生だしな。後悔とか、これっぽっちもないし。

せめて、好きな人にはちゃんと好きと言って、
一生懸命、前を向いて清く正しく美しく生きていようと思います。
はい。
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by masala_days | 2006-04-18 01:45 | 日本の夏、東京の夏


20代の暗黒時代をインドとイギリスその他あちこち季節移動し続け、30代、やっと日本国で社会復帰。8か月の産育休を経て、現在、働くかあちゃん。オットの不在中に衝動買いしたマンションの借金返済に勤しむ


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